翻訳と辞書
Words near each other
・ テオネラ・スウィンホエイ
・ テオバルダ (小惑星)
・ テオバルト
・ テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
・ テオバルト・フォン・ベートーマン・ホルヴェーク
・ テオバルト・ベーム
・ テオバルド
・ テオバルド1世
・ テオバルド1世 (ナバラ王)
・ テオバルド2世
テオバルド2世 (ナバラ王)
・ テオパンテクアニトラン
・ テオファニス・ゲカス
・ テオファヌ
・ テオファノ
・ テオフィリン
・ テオフィル・アレクサンドル・スタンラン
・ テオフィル・オーブ
・ テオフィル・ゴティエ
・ テオフィル・ゴーチェ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

テオバルド2世 (ナバラ王) : ウィキペディア日本語版
テオバルド2世 (ナバラ王)[ておばるど2せい]
テオバルド2世スペイン語Teobaldo II, 1238年頃 - 1270年12月4日)は、ナバラおよびシャンパーニュ伯(在位:1253年 - 1270年)。シャンパーニュ伯としてはティボー5世フランス語Thibaud V)。「若年王」(''el Joven'')と呼ばれる。ナバラ王テオバルド1世(詩人王あるいは遺腹王。シャンパーニュ伯ティボー4世)とその3番目の妃マルガリータ・デ・ボルボーン(マルグリット・ド・ブルボン)の長男。
1253年、父王の死去によって王位と伯位を嗣いだ。しかしまだ若かったため、母親が1256年まで摂政を務めた。テオバルド2世は1255年、フランス王ルイ9世の王女イザベルと結婚した。義父とも親しくなり、相談を持ちかけたりしていたという。
1270年、テオバルド2世はルイ9世が主導する第8回十字軍に参加したが、ルイ9世は遠征先のチュニジアで同年8月に病死し、帰途に就いたテオバルドも同年12月にシチリアで病死した。嗣子はおらず、弟のエンリケ(アンリ)が王位と伯位を継承した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テオバルド2世 (ナバラ王)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.